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歴史紀行 第12回~可部三入、高松山の攻防!

 話は再び戦国時代へ戻ります。1221年(承久3年)、京都の後鳥羽上皇側と関東の鎌倉幕府が争った承久の変での戦功への恩賞として、埼玉の熊谷氏が可部の三入の庄の地頭に任ぜられ安芸に入ってきます。
 
その後可部の高松山の頂上に城を構え、この地を支配しました。同時期に関東より安芸国の守護として入って来ていた銀山城(武田山)の武田氏とは長らくその有力な臣下として従属していましたが、天文2年(1533年)、遂に両家は決裂し、熊谷氏は毛利に寝返ってしまいます。
 
実はこの裏には興味深い逸話が…第10代銀山城主のあの豪傑武田光和は、美女として誉れの高かった高松城主 熊谷信直の妹にぞっこんで、頼み込んで第二夫人として迎えていましたが、夫婦の間に何があったのか、高松城に逃げ帰ってしまったのだとか。光和が何度お願いしても会わせてくれないばかりか果ては他所へ嫁がせてしまった!これに怒った武田光和は高松城を攻めますが、難攻不落、、、家臣ともども散々にやられて退却する様が当時の陰徳太平記に「横川(よかわ)合戦」として生々しく書き残されています。
 
未練の光和は天文9年、失意の内に病死、武闘派として名を馳せた光和ですが、その女性がよっぽど好きだったのでしょうか(^^♪ 2014年の豪雨で登山道が一部崩れたりしていますが、高松山の頂上には500年前、強敵武田軍団を撃退した見事な山城の痕跡が鮮やかに残されています。天気の良い秋の日などに一度登ってみるのもいいかもしれませんね。^^;                  
(つづく)
       郷土作家   つかさまこと